ゲームとか色々日記です。

突撃コブン11時

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魚の生きる綺麗な水なんです
土曜日のこと。

「じゃあ今日は早く寝て明日早起きして夜明け頃
江戸川に鯉でも釣りに行こう」と思い立ちました。

エサとか買ってきて準備→天気予報「朝方、雨」('A`)

まあいいや、と5時に目覚ましかけて夜半頃就寝。

→目を覚ますと7時('A`)

まあ、雨降ってるし「プリキュア」観てから出かけよう。
んじゃ、起きて飯でも食うか。…飯でもくうk…

→目を覚ますと9時('A`)

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| 釣り | 15:26 | トラックバック:0コメント:0
決して踏んではいけない
本日の日記には「ひぐらしのく頃に」の
祭囃し編のネタバレがあります。

プレイしてないとかアニメ版しか観てない人は読まないようにっ!
[決して踏んではいけない]の続きを読む
| 未分類 | 00:33 | トラックバック:0コメント:0
黄昏の国
「10月17日 例大祭」

近所の張り紙にキーワード反応しますた。
諏訪神社らしいのですが、ネット検索でうまく
ひっかからなくて。というか、博麗神社ばかり
ひっかかるのはこの国の今を象徴している気が。

ひデブ始めました。
2Dキャラを3Dにして、かつ可愛らしく見せる
技術も段々発達してきましたね。

3D対戦ゲームって、バーチャ2と鉄拳3を少しやった
程度だし、ボタンガードのゲームも久々なので、
ガチでネット対戦しようという程ではないのですが、
素人同士でちょろっと遊ぼうか程度の対戦はやってみたいです。

対戦ゲームではキャラの好き嫌いより扱いやすさ優先で
メインキャラ選ぶので、やりこむ経過でメインキャラを
頻繁に変更したりします。
今のところアイアン圭一かな。

格闘ゲームの衰退と、それでも対戦型のが盛り上がるという
昨今の風潮にあわせてか、黄昏フロンティアも色々模索してる
感じですね。商業でやると「ガンダムのパクリじゃねーか」と
言われてしまうのが悲しいハンデなのですが、こういう面白い
システムをあちこちがパクって深化していくのは日本のゲームの
盛り上がるパターンであるので、変に著作権とかに捕らわれず
商業メーカーも頑張って欲しいところ。

ゲーム好きでやる気のある若者は、今は変にメーカーに勤める
よりも同人でやってく方が最先端に触れることが出来るかも
しれませんね。

07th Expansionにしろ、上海アリスにしろ、
能力に秀でた個人がやってるというイメージなのですが、
チームの力でそれに立ち向かう黄昏って図式かも。

で、学生が進路希望に「黄昏フロンティアに入る」とか
書くんでしょうか。

| 未分類 | 22:28 | トラックバック:0コメント:0
ヲタクの幸せと脱ヲタについて
ニア怖い曲は飛ばす
 怖い曲だけ演奏


「ひぐらし」終了しました。鬼隠し編から
丸2週間かかりました。

社会人なので、生活があります。毎夜、今日は
早めに寝ようと思いつつ「進む」のボタンをクリック
してしまい、毎朝、会社に行く時間なのに1行でも
先に進みたいとマウスをカチカチやってました。

仕事がつまらなくなり、打ち合わせの最中にウトウトして
こっぴどく叱られたりしました。
早く帰って「ひぐらし」をやりたくて、今日中に仕上げなければ
いけない仕事を「今日は無理です。明日中でお願いします」と
各方面に無茶言ったりしました。そのせいで何人かの人が
あちこちに謝罪の連絡をしてるのを見ながら定時にさっさと
帰りました。

過去にも、何度も、「面白い物語」に深くのめり込むあまり
周囲に迷惑をかけたことがあります。結果的に自分が深く
傷ついたこともあります。

自分によく似た人が自分と同じ行動をしているのを見ることが
あります。一応理解できる立場から助言や忠告したりも
するのですが、大概は聞き入れてくれません。逆の立場
だったら、自分も絶対聞きはしないだろうと解っているので
自分もそれ以上は言いません。

学校を辞める人、会社を辞める人を何人も見ています。
自分も会社は一度辞めてますが、理由は何かにのめり込んだから、
ではなかったです。深く嵌って、それでも何とか社会生活を
送れる程度の能力があったということなのでしょうか。
単に周囲の状況に恵まれたから、という気もします。ただ、自分では
その周囲の状況に決して満足しておらず、むしろ不満ばかり
垂れ流しています。

何かにのめり込んで周囲との調和を捨てたことがある人から見ると、
私は浅いところで引き返す術を身に付けている、ある意味常識的で
臆病で、人々を捕らえて止まない物語の数々、その表面を撫でて
満足してるだけの似非ヲタクのように見えるかもしれません。

麻薬を性行為に例えた人がいました。読書を性行為に例えた人が
いました。私は、優れた物語は受け取る側に、ある種の快感を齎す
薬物のようなものだと考えています。または、例えにあるように、
性行為やスポーツのように、行動によって薬物の摂取に似た快感を
得るということもあります。酒や煙草、あるいは頭痛薬のように、
薬物と言っても法で規制はされていても禁止はされていないものは
多くあります。それらに深く依存しつつも社会生活を営むことが
できる人と、依存してしまったために社会生活が非常に困難に
なってしまう人がいます。

生きる上で快感を得る手段は幾つもあります。それとは逆に、
生きる上での苦痛も、労働や人間関係など、多くあります。人は
生きていく上で、苦痛をなるべく少なく、快感をなるべく多く
得ようとします。苦痛を積極的に受け入れているように見える人は、
より大きな快感を得るためにある程度の苦痛は受け入れなければ
いけないと耐えている最中なのでしょう。
同じ行為でも、人により受ける苦痛、または快感の分量は
大きく異なります。
他人が今どういう状況でどうしようとしているのか、という事を
正しく認識しなければその人を理解することはできません。また、
その人が他人の助力や理解を求めているとは限りません。

自分はどうなれば幸せなのか、そうなるためには誰にどうして
もらう必要があるのか。実現可能な範囲を模索しつつ、妥協点を
探すのも幸せになるために必要なことです。
自分が幸せになるために必要なことをしつつ、それを助けてくれる
他人を求めるのは自然なことです。こいつは自分のためにどれほどの
ことをしてくれるのだろう?こいつの協力を得るためにはこいつの
ために何をすればいいのだろう?そうした値踏みは、そこだけ見ると
卑しい行為に思えます。しかし、自分が幸せになる、その過程に
「他人が不幸になることによって得られる」結果が必要になることは
ままあり、自分と他人、どちらかが不幸になればどちらかが幸せに
なれるならば、そこは自分を優先すべきところです。

例えば、ある女性に好意を寄せる自分がいて、同様にその女性が好きな
もう一人がいたとします。この構図にしても、自分が幸せになるための
条件が、「自分がその女性を幸せにすること」なのか、「自分がその
女性を所有すること」なのか、あるいは「その女性が幸せならば、
自分もそれを良しとする。可能ならばその女性を幸せにするのは自分で
ありたいけれど、自分よりもそれを容易に行うことが出来る存在が
あるならばそれでも良い」のか。
「その女性から好意を得たい」のか、「その女性と交際したい」のか、
「その女性と結婚したい」のか、「その女性と性行為をしたい」のか。
自分が幸せになる過程において必要なことと、自分が最終的に幸せに
なるための条件は区別しなければなりません。

そう考えると、自分が幸せになる条件は日々変化し、最終的な条件は
とても抽象的になると思います。

私が幸せになるための条件、というのを考えてみると、結局
「より苦痛が少なく、より快感の多い人生」
という結論にしか至らないような気がします。その苦痛の内容と、
その快感の内容、避けたい苦痛と求めたい快感の比率、「苦痛でも
快感でもない」部分の範囲、苦痛を避けるために減らさなければ
いけない快感の分量、快感を得るために避けられない苦痛の分量、
そうしたものに個人差がとても大きいのが幸せの基準を考える上で
物事を複雑にしていきます。

とても大きい快感を得るために必要だと考えて、とても大きい苦痛に
耐えていた時期がありました。しかし、その大きな快感は自分の身に
あまりに大きく、それを得るためにはこれまでよりもさらに大きな
苦痛超えなければならないと知った時、私は身の程を知り、以後の
人生においては求めていた大きなそれに比べてあまりにささやかな
快感に満足することを覚え、苦痛をより小さくすることに重点を
置いた生き方をすることにしました。

人は、一生の最後に、死ぬというとても大きな苦痛があります。
そのときに、「自分はこれを成し遂げたのだから、死んでも満足だ」
という誇りを得ること、それが自分の求めていた死の苦痛をひっくり
返すほどの大きな快感でした。
それを得ることを諦めた自分は、死ぬ苦痛に怯えながら生きています。

「ひぐらしのなく頃に」はとても素晴らしい作品でした。
これを作った人たちは、死ぬ時にも『自分は「ひぐらしのなく頃に」を
作った、だから死んでも満足だ』と誇りを持って言えるでしょう。
私は、彼らがとても羨ましい。

そして、私は彼らを羨ましがる人が、彼らの誇りを奪おうと必死になる
気持ちが解ります。私程度の人間でも、その程度の成果に嫉妬して
誇りを奪おうと必死な人がいるくらいです。大きな仕事を成し遂げた
彼らに今後降りかかる悪意もきっと大きいでしょう。

私は遅れて「ひぐらし」をプレイした人間であるので、今更
誰かにこの作品の秀逸さを伝えようと積極的な努力をすることは
しないかもしれません。ですが、この作品が完成するのに
4年半を費やしており、その最初期から、どんどん支持する
人が増えた結果、この作品が当初の予定よりもずっと良いものに
なったというのはよく解ります。この作品をよりよくすることによって、
その評価の一部を自分が得たい、という考えのもとにこの
作品を支持支援した人も多いかもしれません。それは、
他人の力で自分の快感を得たいという浅ましい気持ちなのかも
しれませんが、この作品が優れたものであり、自分の力によって
さらに優れたものにできるかもしれない、という考えに至ったことは
正しく評価されてしかるべきだと思います。

自分が2週間の間、早く先を読みたいとしていたように、もっと早い
段階でこの作品の優秀さを見抜いた人はこの作品の完結までに
長い時間を待たなければなかったはずです。
私の周囲にも、優秀な作品を探し、支持することを喜びとする人は
多く居ました。しかし、彼らの多くは社会生活に疲れ、4年半を待てなく
なり、半年を待てなくなり、やがては2週間を待てなくなり、
優れた作品を追い求めることをやめてしまいました。

そうした人と話をする機会があると、いつも私が30歳を超えてなお
オタクであり続けている事を称えたり呆れたりされます。
オタクとして話が合う友人との交際をしていると、気付けば
集団の中で自分が最年長であるという事が多くなりました。
それは、私が精神的に若いとか幼いとかではなく、幸せの基準を
変えていないだけであると思うのです。
今回は半年を待つことが出来ずに、2週間の苦痛で勘弁してください、
というと、多くの人は「この人が2週間を待つことが出来なくなるのも
時間の問題だろう」と考えるのではないかと思います。
自分でも優れた作品のために費やすことのできる時間と苦痛がどんどん
小さくなっていってるという事は認識しているし、これからも
縮小の方向を向いていると思います。それが自分の幸せのためならば、
自分はそれを受け入れるでしょう。しかし、自分はこれまでもオタクで
あったし、これからもオタクである喜び以上の快感を得ることは
出来ないと思います。

優れた作品に接した時、「きっとこれ以上の快感は自分の人生ではもう
ないだろう」と歩みを止める人がいます。そうした人を、私は
「いつまでも初代ガンダムにこだわって他を正しく評価できていない
人のようだ」と揶揄します。ある優れた作品が生まれると、それを
受け取った多くの人たちの中から、必ずそれを超える作品が生まれ
ます。例えば、過去に「痕」という優れた作品があり、それを
受け取った多くの人が『この世には「痕」という優れた作品がある』と
いう前提のもとに創作を行い、結果「月姫」が生まれ、「ひぐらし」が
生まれるという連鎖です。有名どころで括っていますが、その間にも
無数の優れた作品は存在していました。それらを、どちらが上か
比較するのでなく、親が子に継承したものを受け止め、2週間を半年に、
半年を4年半に、4年半を、物語が辿る道の源流まで遡り、物語を長く
受け止め続け、その成長を自らの幸せとすることがオタクの幸せであり、
後続に示す規範となるのではないかと思います。

これからも、苦痛に怯えつつ快感を探していこうと決意を新たにした
ところで、自分は何も変わらないと思うのですが、変えないという
選択肢を選ぶことが出来たのは、この「ひぐらし」のような優れた
作品たちがあったからで、それを作った人たちに感謝こそすれ、不幸を
嘆き恨むのは筋違いであると思います。優れた作品を作ってくれた
人たちに報いるために、自分は幸せでありたいと思います。

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